アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半

こんにちは、あんりです。

前回の高校~大学時代に引き続き、私の半生について書きます。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代

今回も大学時代についてですが、アフィリエイトに出会った
大学3年生の頃のお話をします!

アフィリエイトに出会った大学3年

東日本大震災から約10ヶ月経った大学3年生の冬。

周りの同級生たちがどんどん就職活動を始める
雰囲気になってきました。

当時私は大学を卒業したら就職して、
会社から貰うお給料で生活するのだ
と思っていました。

いや、正確に言うと
就職以外の術を知らなかっただけです^^;

でも、「この業界に就職したい!」
と特に強い意思やビジョンもなく
周りの雰囲気に流されて
なんとなーく就活を始めました。

はっきり覚えていないけど
50~100社くらい応募していたと思います。

そのうち3社ほど最終面接まで進めたりと
手応えのあった選考も経験しましたが
全滅しました。

それもそのはず、
その会社にどうしても就職したい!
という強い志望動機がなかったわけだし
軸がいつもブレブレだったから。

だから、就活開始から半年以上経っても
一つも内定が出ませんでした。

特にこれといった志望動機もないくせに
なんで私は就活をやり続けているんだろう…

周りの友達は既に内定している子たちがいるのに
自分は一社も決まらず、ただただ時間が過ぎてゆくだけで
絶望感を抱きました。

就職以外に何か方法はないかなぁ…

自力でお金を稼ぐ方法とかないかな。

就職する以外で、自分でお金を稼ぐ方法がないかと
模索しているうちに、インターネットで

「アフィリエイト」

という方法にたどり着きました。

アフィリエイトって何ぞや?

言葉の意味すら知らなかった私は
ネットで更にアフィリエイトについて
調べ進めました。

■パソコン1台とインターネットに接続できる環境があれば
時間や場所に捕らわれず自分でお金を稼げる

■アフィリエイトにもいろんな種類があってトレンドアフィリエイトや
物販アフィリエイトなどがある

■ネット上に資産を築き上げるまで地味な作業を繰り返し
根気よく続けなければならない

■コツはいるが作業をこなした分だけ報酬が発生する

■一度築き上げた仕組みで自動的に収益を得られる

…ほうほう、そうなのかー!

そんな方法でお金を稼げるなんて知らなかったー!

世の中にはアフィリエイトという方法で
自力でお金を稼いで生活している人もいるんだと知って
衝撃を受けました。

何より、パソコンとネットさえあれば
世界中どこでも作業が出来て収入を得られる所に
魅力を感じました。

それに私は震災後、たとえ自宅を失っても
いつでも柔軟に対応できるような生き方をしたい、
と思うようになりましたが、アフィリエイトは
まさにその願いも叶えてくれそうな方法でした。

早速、あるアフィリエイターさんのメルマガを購読し
オススメの情報商材も購入して
アフィリエイトのノウハウを学び始めました。

それから毎日、来る日も来る日も
アフィリエイトの作業に没頭していくうちに、
就活離れしていきました。

家族の圧力に負け、就職する大学4年

そして大学4年の冬。

就活放棄した私を見て、
ある日両親は不満を爆発させました。

「どこも決まってないのにどうして就活辞めたの?!」

「まずは正社員として働かなきゃダメ!!」

「会社に入れば毎月給料が安定して入ってくるのに、
なんでわざわざ不安定な方を選ぶの??」

親の世代的に、学校を卒業したら
会社に正社員として就職することが常識。

だから、ろくに就活もせず「アフィリエイト」という
得体の知れない方法でお金を稼ごうとする娘に
理解できなかったようですし、許せなかったようです。

私はとうとう家族の圧力に負け、仕方なく就活を再開。

大学卒業の一か月前に就職先が決まりました。

内定先は得意な語学を活かせそうな、旅行業界のベンチャー企業。

残りの大学生活を安心しきって過ごしていたのも束の間。

入社日の約一週間前に内定先の親会社の社長から
突然の電話が掛かってきました。

「急で申し訳ないけど、経理代行事業の関連会社に入社してくれない?
どうしても人員が足りなくてね~~~」

急すぎる内定先の変更の申し出に

はっ?なんで??!!

って驚いてしまいましたよwwww

それに、当時の私は数字に強くなかったので
経理の仕事についていける自信がなくて
めちゃ不安でした。

それでも折角いただいた、たった一社の内定先。
社会勉強をするつもりで内定先の変更を引き受けてしまいました。

次は入社後のお話をしますー!

→新卒で入社早々、配置転換をさせられた話

劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代

どうも、あんりです。

前回の小学生~中学時代に引き続き、私の半生について書きます。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代

今回は高校と大学時代編です!

劣等感を刺激された高校時代

さて、中学時代にいじめを乗り越え
県内有数の進学校の高校に入学した私ですが、

高校時代は楽しい思い出でいっぱいでした!

前半までは。

中学時代にいたようないじめっ子タイプは全然いない。

高校の制服のデザインが気に入っていたので、
毎日好きな制服を着て学校へ行くのが楽しみだった。

好きな人もできた。

憧れの軽音楽部にもやっと入部できて、
楽器を手に入れ、バンドを組み、ライブに出演できた。

進学先の学科は国際関係の学科ということもあって、
得意の英語を再び活かしたり、
第二外国語を学ぶチャンスが巡ってきたりと、
語学力を伸ばす機会に恵まれた。

学科のカリキュラムの一環で、
2回ホームステイしたり
修学旅行で海外へ行かせてもらえるなど
語学研修の機会にも恵まれた。

確かに自分は、とても恵まれた環境にいたと思います。

でも、高校生活を過ごしていくうちに
いろんな面でどんどん劣等感を刺激されるようになりました。

進学校だったこともあって、周りのみんなは
各地から集まってきた優秀な人だらけ。

優秀な彼らと肩を並べた途端
自分は「普通の人」になってしまう。

優秀な彼らに追いつけ追い越せと努力しても
劣等感を感じる機会が増えて、自信を失くしていきました。

定期テストでは、同級生と自分の力の差を見せつけられる。

ある苦手科目の定期テストで、
一桁台の点数を叩きだしたことがありますw

ありえませんよねwww

一桁台の点を出したのは、クラスの中で自分だけのようだったので
心配した担任が母親に電話をかけたくらいです^^;

今思うと、担任にも迷惑かけたし
母に恥をかかせてしまって申し訳ないことしたなぁと思いますorz

苦手科目は極端な例ですが、
得意科目のテストでも同級生との差を常に感じました。

テストの時だけではありません。

憧れだった軽音楽部でのバンド活動でも、
劣等感を刺激される場面はありました。

高校の軽音楽部はとても人気のある部活で、
部員の人数もこの学校の中では多い方でした。
(具体的に何十人いたか忘れてしまいましたが)

だから軽音楽部では、何組ものバンドが組まれていました。

で、定期的に部内でバンドの人気や技術力を競うコンペが
行われるのですけど、他のバンドはみんな
演奏技術も歌唱技術も、カリスマ性も高いバンドばかり。

バンドランキングで上位になれたことはなく、
悔しい思いをたくさんしてきました。

こうして私は次第にテストでも、部活でも落ちこぼれていき
大学受験では志望校には合格できず、
「滑り止め」として受けた大学に進学することになりました。

震災で価値観が変わった大学生活

進学先の大学では好きな語学を専攻し、、
仲のいい友達もできて、仲間と協力しながら
勉学に励む日を過ごしていました。

SNSを通して学外にも趣味仲間の友達が出来て、
バンド活動をしたり、いろんなところへ出かけて
遊ぶ機会が増えました。

高校時代よりも自由で、ゆるくて
楽しい日が増えたな~

のほほ~ん

と過ごしていた矢先。

東日本大震災が起こる。

私は首都圏在住なので、東北地方の被害状況と比べれば
大したことなかったのかもしれませんが、
それでもあんな巨大で長い揺れは人生史上初めてで
とても恐怖感を感じました。

立て続けに襲ってくる余震や、インフラの崩壊、
物流のストップ、津波の被災地で時間を追うごとに増え続ける死者数、
震災の数日後に発生した原発事故など
許容範囲を超える出来事を一気に経験してしまいました。

この震災は私の価値観を変えました。

平穏に過ごしていても災害などで
突然自宅を失ってしまう可能性は誰にでもある。

自宅を失っても他の場所へ移住するなど
いつでも柔軟に対応できるような生き方をしたい…!

この考えは、後々アフィリエイトを始める
理由の一つとなります。

さて、次はアフィリエイトに出会った話をします!

→アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半