日本の小学校生活と、いじめの中学時代

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こんにちは、あんりです。

前回に引き続き、私の半生の話をします。

前回までのお話はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期

今日は小学生~中学生編です。

日本へ引っ越す

英語圏のシンガポールで生まれ、
インターナショナルスクールでの学校生活に
すっかり馴染み、満喫していた頃…

父の仕事の都合で日本へ引っ越さなければいけない日が
突然やってきました。

父の転勤で日本へ行かなければいけないと聞いた時、
ちょっとした不安感を抱いたのを今でも覚えています。

当時の私にとって日本はある意味
未知の国。

それまで親戚の家を訪ねに両親と一緒に日本へ行ったことはあるものの、
日本で生活したことは一度もありません。

日本語は全くわからないわけじゃないし、話せなくもないけど
英語漬けの環境で毎日過ごしていた影響で、
日本語をうまく喋れない。

それに、日本で暮らしたことがなかったから
日本の文化や常識、生活習慣やブームなど
よく知らない。

一応日本人だけど、中身が日本人じゃない自分が
日本へ行って、うまくやっていけるのだろうかと、
幼いながら不安でした。

日本で始まった小学校生活

日本へ引っ越して半月も経たないうちに、引っ越し先の小学校へ転入しました。

転校先では帰国生が物珍しかったのか、初日から早速外国人扱いされて
疎外感を感じました。

また、日本に来てから
いっぱい逆カルチャーショックを受けました。

例をあげるとキリがないので、
学校生活での一エピソードを話しますね。

例えば授業中、先生に

「何か質問がある人?」

とか

「わからないところがある人?」

と聞かれる場面ってありますよね。

それで、インターに通っていた頃からの習慣で、
手を上げて先生に質問をしたり
自分の意見を言ったりするわけですが、
これを日本の小学校でやると、周りから浮きました。

インターや海外(特に欧米圏)の学校では

「何か質問がある人は手を挙げてください」

などと先生に聞かれると、挙手して質問したり、
自分の意見をぶつけたりするのは
ごく当たり前の習慣です。

でも、日本の学校では

「何か質問がある人?」

と聞かれても、みんな恥ずかしがって質問しない。挙手すらしない。

本当は質問があるのに、周りのみんなが手を挙げようとしないから、
周りの様子を伺って、結局手を挙げずに終わる…

日本の学校では、協調性に重きを置き、
周りのみんなに合わせることが当たり前だった。

私は過去に日本人幼稚園に通っていて、
「みんなと一緒に行動すること」
経験していたはずなのですが…

インターに通うようになってからは
「自分で考えて自分で行動すること」が習慣化していたので、
日本人の社会では「みんなと一緒に行動する」のが
普通だってことをすっかり忘れていました。

だから、インターに通っていた頃と同じ調子で
周りに合わせずに行動したり意見するとめっちゃ浮く。

「あの人、変な子だよね」

「調子に乗ってるの?」

などと陰口を叩かれることもしばしば。

「日本の学校ではみんなに合わせなきゃいけないんだな…」

と察してからは、日本の学校生活に早く馴染もうと
みんなに合わせるように行動しました。

それまでは自主的に行動することがよくあったけど、
「自分」を抑えて周りに合わせるようになりました。

でも、馴染もうとすればする程ストレスになっていたようで
日本に来て一年経った頃には、すっかり暗い子になってしまいました。

母が言うには、日本に来る前の私はよく笑う子だったようですが、
日本に来てからはあまり笑わなくなったようです。

写真に映る時も笑わなくなったので
「もっと笑ってよ!」
とよく注意されていましたねぇ…^^;

いじめを経験する中学時代。

中学校に進学して最初の一年は順調でしたが、
2年生になる頃からいじめを経験するようになりました。

中学2年のクラスで、仲良しの友達3人といつも共にしていましたが
ある時期から同じクラスのいじめっ子グループに目をつけられ

わざと本人だけに聞こえるように悪口を言われたり、

持ち物を隠されたり……

特に友人の一人は
いじめっ子グループの最大のターゲットにされていたようで、
体育の授業中に後ろから蹴られることもありました。

いじめは次第にエスカレートしていき、
初めのうちはいじめをスルーできていた私たちも
耐えられなくなってしまい、ある日学校から帰宅して
母の前で号泣してしまいました。

学校でいじめられていたことを初めて家族に伝えました…
あの時は母にとても心配をかけたと思います。

いじめに悩む私に、母はこう言いました。

「いじめっ子たちのことは無視して勉強しなさい。
勉強して、いじめっ子たちにギャフンと言わせるようにしなさい。」

それ以来学校でいじめっ子たちに何をされても無視し続け、
いじめっ子のことを忘れるくらい勉強に打ち込むようになると、
成績は急上昇し、気が付けばいじめっ子たちも寄り付かなくなりました。

勉強に打ち込んだこともあって、高校は希望通り
県内有数の進学校に合格できました。

いじめっ子がいじめる理由は、ターゲットの苦しむ反応を見て
自分が優位に立てていることを確かめたいから。

でも、いじめっ子が求めているターゲットの反応がなくなったり、
ターゲットがいじめっ子よりも成功してしまうと
自分が優位に立てているか確かめられなくなるから、
いじめに飽きてしまう。

いじめに対処するには

無視すること
相手よりも成功すること

以上の2点が有効だと学んだ中学時代でした。

次は高校~大学時代のお話です!

→劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代

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こんにちは、あんりです。

今日は私の半生の話をしていきます!

まずは幼少期から。

誕生~3歳頃までの過ごし方

私は父、母の3人家族の一人娘として生まれました。

父は一部上場企業の会社員、母は専業主婦です。

生まれる前に父が仕事の都合で海外駐在員となり、
母と一緒に英語圏のシンガポールへ引っ越し、そこで私は生まれました。

日本人だけど、シンガポール出身です。

3歳頃までは、平日の日中は専業主婦の母と一緒に
過ごすことが多かったです。

近所に住む近い世代の日本人の友達と
遊ぶことも、もちろんありましたけどね!

家で過ごす時は母が朝からテレビをつけていたので
現地のテレビ番組をよく観ていました。

シンガポールは英語圏の国なので、番組の言語は当然英語です。(他に中国語、タミル語、マレー語なども公用語ですが、英語が最も使われている言語でした)

特に午前中は子供向けの教育番組やアニメがたくさん放送されていたので
そのような番組をずっと観ていくうちに、自然と英語が身に付きました。

日本人幼稚園に入園

4歳になる年に、現地の日本人幼稚園に通い始めました。

日本人幼稚園に通う園児の過半数は、日本生まれ日本育ち。

親の仕事の都合で急遽、日本から引っ越してきたばかりで
日本語は話せても、英語がわからない子の方が多かったです。

だから幼稚園では、日本人の先生&英語圏出身の外国人の先生のteam teachingで
英語の授業がありました。授業というよりお遊戯の方が正しい表現かも。

それまでに英語を身に付けていた私は、
外国人の先生たちを驚かせることも多々あったようです…。

幼稚園の年中

5歳頃になると、我が家にパソコンがやってきました。

…と言ってもノートパソコンで、父のものだったんですけどねw

ちょうど一般家庭にもパソコンが普及し始めた時代です。

父が使わない時を狙って、私はパソコンをいじるようになりました。

お絵かきソフトを使ってパソコンで落書きをしたり、
学習ソフトを使って算数や英語の勉強をしたり、
ゲームで遊んだり、
インターネットを使ってネットサーフィンしてたっけ…

その頃から既にネットサーフィンの習慣が出来上がってたんだなぁと
今になって思いますw

幼稚園の年長児、進学先を決める

私も幼稚園の年長になり、いよいよ進学先の小学校を決める時期が来ました。

母は私に、三つの選択肢を与えてくれました。

1.日本人小学校に通う
2.インターナショナルスクールに通う
3.上記以外の現地校に通う

母と共にいろいろ学校見学に行った結果、
私はインターナショナルスクールに進学することを決めました。

何故なら自由な校風はもちろん、
世界各国から多種多様な生徒が集まっていて
「この学校何だかおもしろそう!」と
幼いながらインターナショナルスクールの魅力を感じたから。

両親は私の意思を尊重してくれたので、
晴れてインターに入学できました。

インターは9月が年度始まりだから
幼稚園は年長の8月に中退という形で去りました…

インターナショナルスクールに入学

進学先のインターナショナルスクールで
いろいろカルチャーショックを受けました。

最も衝撃的だったのは自己主張しなければいけないこと!!

それまで日本人幼稚園に通っていた私は、
日本人がたくさんいる環境で過ごしてきたから
周りのみんなに合わせて行動しなければいけないのが普通だったんですよね。

でも、インターでは誰だって自主的に行動するのが当たり前だし、
自分の意見をハキハキと伝えることが当然とされていました。

むしろ、自己主張できない人間はバカにされる。

小さい声で恥ずかしがってボソボソ喋っていては
相手が声を聴き取れるまで何度も聞き返されて、
もっと恥ずかしい思いをする。

当時私は話し声が小さかったから、
先生たちに何度聞き返されたことやら・・・^^;

そんな私ですが、授業を通して
プレゼンテーション“Show and Tell”に慣れていく中で、
大勢の前で自分の意見を伝えることができるようになるまで
成長しました。

“Show and Tell”とは何かと言うと、
その言葉どおり「見せて、教える」ことです。

毎週、お気に入りのおもちゃを学校に持ってきては
クラスのみんなの前でおもちゃを見せて

・そのおもちゃはどういう物なのか
・なぜそのおもちゃが好きなのか
・おもちゃのどういう所が良いのか
・おもちゃでどのように遊ぶのか

など、なんでもいいから自由に語って発表する時間が
与えられていました。

好きなものの紹介だから、楽しく話せたし
発表するのが全然苦じゃなかった。

好きなものを紹介してアピールするのは
アフィリエイトにも通じるところがありますね^^

そうそう、プレゼンテーションって
小学1年生の頃からやってるんですよ。

2020年度以降からは教育改革で、日本でも小学生のうちから
プレゼンテーションをする機会が与えられるようになるかもしれませんが、
小学1年生からプレゼンテーションなんて今までだったら
まずありえないですよね。

・幼いうちからパソコンを操作する

・プレゼンテーションを通して情報の発信力を培う

アフィリエイターとしての私の原点は多分ここだと思います。

インターに通うことを選んだから、今の自分がいます!

次は、小学生時代の続きと中学時代のお話です~!

→日本の小学校生活と、いじめの中学時代