派遣契約が取り消しに!下した決断は「アフィリエイトを極める」

どうも、あんりです。

私の半生の話は今回で最後です!

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半
新卒で入社早々、配置転換をさせられた話
配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。
社内失業から鬱状態になってしまった話。
退職勧奨を引き受け、無職生活を始めた話。
無職時代にアフィリエイトを再開したけど3か月で諦めてしまった話。
社会復帰のつもりで派遣社員になることを選んだ話。

社会復帰のつもりで始めた派遣社員としての仕事も、
いつの間にか慣れてしまい、気が付けば4年。

2月下旬、派遣の仕事を続ける意思があるか聞かれて
引き続き派遣契約の更新に同意をしたら、
契約手続きの最中に突然、
契約を打ち切られてしまいました。

え・・・なんで・・・?!

唐突な出来事で、頭の中が激しく混乱しました。

派遣元の担当営業さんが言うには、
契約手続きを進めている最中に
契約を打ち切られてしまうケースは
稀だそうですので、ビックリしていると言いました。

契約が突然打ち切りになった理由ですが、簡単に言うと
派遣先企業が新年度を迎えるタイミングで
人員改正をするため、人件費をカットしたかったから。

正規雇用の派遣は簡単に切られます。

(正社員でも切られた経験はありますが…。)

派遣の有期雇用は、昔の自分のように
社会復帰目的で利用するにはメリットではありましたが、
仕事に慣れ長期的に働くようになった今では
すっかりデメリットに変わっていました。

唐突とはいえ、
派遣先企業の都合で契約を打ち切られた以上、
派遣元も、派遣社員も、
派遣先の要求に従わざるを得ません。

だから私は、契約の打ち切りにただ同意しました。

帰宅後、私は今後の自分の生き方について
いろいろと考え、悩みました。

そして悩んだ末に出した結論は
「やっぱりアフィリエイトを極めよう!」

確かに私はまだ20代ですし、
転職しようと思えばできる年齢です。

でも、転職の選択肢を蹴って
アフィリエイトの道に進むことを選びました。

なぜなら、正社員であっても
派遣社員であっても、会社の都合で
あっさり切られる経験をしているから。

会社勤めだからって、決して
安定しているわけじゃありません。

もう会社に振り回されたくない、
自分主体の生き方をしたい、
と思ったのが正直な気持ちです。

専業でアフィリエイトの道に進むのには
相当な覚悟が必要でした。

大学4年の時に就活をやってアフィリエイトから
距離を置いた時期もあったし、
無職時代に再開させた時もたった3ヶ月で諦めてしまった
過去がありましたから。

でも、契約打ち切りを宣告された今しか
アフィリエイトで自立するチャンスはない!
と思って、決断を下しました。

覚悟をもって決断を下したからには、
今度こそ絶対に途中で投げ出すつもりはありません。
自分の生活がかかっていますからね^^;

覚悟を決めた翌日からは早速、
私はアフィリエイトの準備作業に取り掛かりました。

日中は派遣先企業で引き継ぎ業務に励み、
仕事が終わって帰宅したら、ご飯を食べて
すぐにパソコンの前へ…!

以前から気になっていたアフィリエイターさんの
実践方法を真似て

・自己アフィリエイト
・サーバーの契約とドメインの取得
・ワードプレスの開設
・ブログ記事の更新
・ASPの登録&申請

これらの作業を隙間時間を見つけては
毎日アフィリエイトの下準備を進めていきました。
会社勤めしながらでは寝不足になったりで大変でしたが^^;

一か月後、私は派遣先を退職し、
晴れて無職アフィリエイターになりました\(^O^)/

派遣でクビ宣告されてからすぐに
アフィリエイトの下準備に取り掛かった甲斐あって、
今はアフィリエイトの勉強や
記事の執筆に集中できる時間が持てるようになりました。

アフィリエイターとしてはまだペーペーですが、
自分主体の生き方をしたい!という夢を叶えるべく
これからは毎日コツコツとアフィリエイト作業を続けて
ブログという資産づくりに励みます!

アフィリエイトで絶対に成果を出して見せるから
無職だなんて言わせない!!

社会復帰のつもりで派遣社員になることを選んだ話。

どうもこんにちは、あんりです。

前回に引き続き、私の半生を語ります。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半
新卒で入社早々、配置転換をさせられた話
配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。
社内失業から鬱状態になってしまった話。
退職勧奨を引き受け、無職生活を始めた話。
無職時代にアフィリエイトを再開したけど3か月で諦めてしまった話。

半年間の無職期間を過ごし、その間に3か月ほど浅はかな考えで
アフィリエイトに再挑戦した私ですが、あっさり挫折してしまいました。

失業保険の支給も途絶え、事実上無収入になり、
困り果てた私が次に選んだ行動は…派遣社員として働きに出ること。

私は前職での経験から、会社員として復職するのが怖かったです。

しかし無収入になってしまった以上、働きに出なきゃいけなくなったので
社会復帰のリハビリのつもりで、派遣社員になることを選びました。

派遣社員というと、雇用形態が不安定という点で
ネガティブに捉えている方も多いんじゃないかと思います。

確かに正社員と違って雇用期間は有限ですし、
3か月ごとに契約の更新がありますが、
次の3か月間も労働契約が結ばれるかどうかの保証はありません。

でも、派遣のデメリットと捉えられがちな
有期雇用という点に私は着目しました。

まずは生活のために早く働きに出よう。

とりあえず3か月だけ働いてみて、
合わないと思ったら
次の契約の更新はやめることにしよう。

早速派遣会社を数社登録し、
面談を受け、職場見学に行きました。

職場見学に行って一日も経たないうちに、就業が決定!

無収入になってから2週間も経たないうちに、
派遣社員として働きに出ることになりました。

運が良いことに、私は派遣先企業の職場環境や
人間関係に大変恵まれました。

新卒正社員時代の会社にいた先輩みたいに、
怖くてキツい性格の社員は誰一人いなくて
皆さん親切で温かい社員さんばかり。

社会人としての実務経験とスキルに乏しかった私に
ひとつずつ丁寧に指導してくださいましたし、
慣れないトラブルにアワアワしていたら
代わりに対応してくださることもありました。

まぁ一部厳格なタイプの社員さんがいましたが、
ただ私のミスを指摘するだけであって
いびってくるような人ではありませんでしたので
多少怒られても苦じゃなかったです。

こんなに親切な社員さん達と一緒に働けるなんて信じられない!

過去に経験した職場いじめや社内失業は
一体何だったんだろうと思うくらい、
新卒時代の会社とは正反対の職場環境。

転職するだけで、素晴らしい環境を
手に入れられるケースがあるんだって実感しました。

おかげさまで私は派遣先でスキルを身に付けて
メキメキと成長ができ、
気が付けば同じ職場で2年間働き続けていました。

諸事情により、最初の派遣先は2年で契約満了になってしまいましたが、
同派遣先で働けたことを今でも感謝しています。

次の派遣先も職場環境にはまあまあ恵まれていました。

しかしひとつ前の所と比べると、業務が単調すぎて
物足りない…と思ったのが正直な気持ちです^^;

それでも時給が良かったので働き続け、
気が付けばあっという間に2年経っていました。

そして2018年2月。

派遣元の担当営業さんが、派遣契約の更新の確認に来たので
迷わず3か月更新を希望することを伝えました。

派遣先も契約更新に同意していたようでしたので
契約手続きが進められていました。

が。

数日後、派遣先の都合で派遣契約が
突然取り消しになってしまいました。

続きます。

→派遣契約が取り消しに!下した決断は「アフィリエイトを極める」

無職時代にアフィリエイトを再開したけど3か月で諦めてしまった話。

こんにちは、あんりです。

新卒時代の話に続き、私の半生について語ります。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半
新卒で入社早々、配置転換をさせられた話
配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。
社内失業から鬱状態になってしまった話。
退職勧奨を引き受け、無職生活を始めた話。

今日からは無職時代のお話です!

人間関係のトラブルや社内失業を経て
新卒で就職した会社を入社8か月目で辞めてしまい、
23歳で無職生活デビューを果たしてしまいました。

退職直後は鬱状態で、体調を崩していたので
最初の一か月間は心身の健康を取り戻すべく
ほとんど毎日自宅で休養していました。

それから一か月、二ヶ月経つと
体調が回復し、外出する機会も増えましたが
二つの不安感が襲うようになりました。

一つ目は、経済的な不安

私は半年以上働いて会社都合で辞めたため、
失業保険さえ申請すれば、28日ごとに失業保険を受給できます。

でも、もらえる金額は新卒社会人時代の月給の6割。
新卒時の月給なんて、たかが知れています。

受給条件は人によって違ってくるけれど、
私の場合は最大90日間しか支給されないことになっていました。

更に、支給の延長条件をクリアしたとしても、
プラス2~3か月延びる程度で、
延長分を合わせてもトータルで6ヶ月間しか貰えません。

会社員時代の月給の6割しかない金額を
最大6か月間しか貰えないのはめちゃ不安でした。

退職金とわずかな貯金が目減りしてくのも怖かったです。

二つ目は、会社員として復職する不安

お金が心配なら、さっさと働きに出ればいいのに!
という声が聞こえてきそうですが(苦笑)
当時は会社員として復職するのが怖かったんです。

なぜなら、会社=退職した前職場の印象が強かったから。

当時の私は新卒だったため、会社での就業経験は
前職場の1社しかない。

だから、会社といえば前職場のような
ネガティブなイメージしか抱けなかった。

会社員に復職したら、また怖い先輩社員に
いびられてしまうんじゃないかな…

また社内失業してしまうんじゃないかな…

新卒で社内失業してろくにスキルもつけられず
たった8ヶ月で辞めてしまった自分が
転職先で即戦力になれるわけないよねー…

と、超ネガティブになっていました。

会社員には戻りたくない…

でもお金は稼ぎたい!!

だったら、またアフィリエイトをやろう!

というわけで、大学4年生頃から放置していたアフィリエイトを
約1年ぶりに再開させました。

アフィリエイトの世界からしばらく離れていたので、
無料のメルマガを改めて購読したり
教材も買い直したりして、再スタート。

無料ブログを増やしたり

ASPに初めて登録したり

オプトインアフィリエイトに手を伸ばしたり

いろんなことに挑戦してみました。

「さあ、やるぞ!」

初めの一か月はやる気を出してスタートしたので
毎日最低一記事書いては更新していました。

でも、2か月目あたりから私は焦り出します。

「全っ然稼げてないじゃん!!」

今思うととても考えが甘いですね…

昔の自分を殴りたくなります^^;

ネットビジネスの世界では最初の3か月は
収益が発生しなくて当たり前なのに、
すぐに結果が出ることを求めていたのですから。

ラクしようとしていた自分がバカでした。

それに当時の私は教材を買っては読み、
理解したつもりになっていただけで、
実はまったく理解していなかったです。

教材をサッと読んで、深く理解しないまま
ちょろっと実践して、満足していただけだった。

ノウハウに書かれていることをあまり守らずに
自己流でやってしまった。

だから当然成果は発生しませんでした。

そして、甘い考えでアフィリエイトをやり始めて3か月目。

アフィリエイトで成果を全く出せない一方で
失業保険の延長給付がついに終了してしまい、
事実上無収入になりました。

やばい収入が途絶えた!どうしよう!

会社員に戻るのが怖いけど働きに出ないとまずい!

会社員として復職するのは怖いけど
収入がないと生活出来ないから、
働きに出たくないなんて言っていられない。

でも、社会人生活から半年ほど離れていているから
ちゃんと仕事していけるか不安…

悩みに悩んで次に取った行動は…派遣社員として働くことでした。

続きます!

→社会復帰のつもりで派遣社員になることを選んだ話。

退職勧奨を引き受け、無職生活を始めた話。

こんにちは、あんりです。

引き続き、新卒の正社員時代のお話をします。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半
新卒で入社早々、配置転換をさせられた話
配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。
社内失業から鬱状態になってしまった話。

職場の人間関係と社内失業の悪化で
我慢の限界が来て、

会社を辞めたい・・・

と思うようになりました。

でも、辞められなかったです。

一晩寝て朝を迎えると

「会社行かなきゃ!!」

と強迫観念に駆られました。

なぜなら会社に行かないと、先輩社員や上司に
何をされるかわからなくて怖かったし、

「石の上にも三年」という諺があるように、
入社してまだ3年も経っていないのに
このタイミングで辞めてしまえば次に働ける場所は
ないんじゃないかという恐怖感がありました。

まだ退職を意思表明していないのに
仕事をバックレてしまうのは罪悪感もありました。

経済的な不安もありました。

しかし出社したところで仕事はほぼゼロですし
先輩らにいびられて終わりです。

やっぱり辞めたい!

と思っても、翌朝になると

会社へ行かなきゃまずい!

と考えが変わって、また出社する…

辞めたいのにどこかで辞める踏ん切りがつけられず
この悪循環を一週間ほどズルズルと繰り返していました。

同時に自分の健康状態もどんどん悪化し、

体の至る所の痛み

めまい

体の震え

動悸

睡眠障害

食欲減退

体重の減少

肌のコンディション悪化

感情の喪失

思考と集中力の低下

などの症状が重くなっていきました。

精神科で診断してもらっていませんが、
当時の自分の健康状態を振り返ると、
明らかに鬱だったと思います。

そして入社8か月目を迎える頃、
私は珍しく社長に一人で呼び出され、
退職勧奨を受けました。

当時社長に言われたことを、そのままそっくり
下に簡潔にまとめてみました。↓


来月12月からのことを決めてほしい。

一つ目は、○○○事務所(都内の別事務所)に
たった一人で異動して、2名の営業職をサポートしてほしい。

サポート内容は主に経理的なこと。
君に経理の適性が無いのを承知の上で言っている。
しかし他に回せる人員がいないから君を選んだ。

お金が関わる責任重大な仕事だから
どんなに小さなミスさえ許されない。

事務員は君だけだから、営業が外出している間は
周りに誰も助けてくれる人がいないよ?

二つ目は、もしこの業務を引き受けられそうにないなら、
来月付で辞めてくれない?月給の3倍の退職金をつけて
「会社都合での離職」としてあげるから。

会社都合が理由なら自己都合よりも履歴書が汚れないでしょ?w

あーそれとさ、君は会社で仕事するよりも
地元で婚活した方がいいんじゃない?w

いい男つかまえて養ってもらう方がよっぽど良いと思うよww
君の将来のことを考えて言ってるんだ。
ま、真剣に考えてw


…全部嫌味かっ!!

新卒7か月目の新人を一人放っておくこと自体が
まずありえないですから、
私にどうしても辞めてほしくて
退職を仕向けたとしか思えません。

会社を辞めたい、と思っていたところでの
退職勧奨でしたので、結論はほぼ出ていましたが
一週間ほど考える時間をいただきました。

その後、家族・友人など信頼できる身近な人達に、
退職勧奨されたことを打ち明け、
今後どうしたら良いか相談しました。

相談にのってくれた皆の意見はほぼ満場一致で

鬱で体調崩すくらい今の仕事に
幸福感を感じられないのなら、早く辞めた方が身のため。
無理してまで給料にしがみつかなくて良い。

と言ってくれ、自分も会社を辞める踏ん切りがつきました。

約束の一週間後、重い腰を上げながら出社して退職の意思を告げると、
退職届を書いたら今すぐ出ていけ!と言われて
会社から追い出されてしまいました。

同僚にお別れの挨拶をする間もなく、即日退職。

こうして私は、8か月の短い東京OL生活に終止符を打ちました。

もう職場の問題に苦しまなくていいんだ…!

帰宅したらしばらく休もう…

いろんな思いを巡らせながら帰宅すると、
ずっと抑えていたものが一気に溢れ出して
大号泣してしまったのを今でも覚えています。

この日から、私の初めての無職生活が始まりました。

次は、無職時代のお話をします。

→無職時代にアフィリエイトを再開したけど3か月で諦めてしまった話。

社内失業から鬱状態になってしまった話。

こんにちは、あんりです。

引き続き、新卒時代の会社について語ります。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半
新卒で入社早々、配置転換をさせられた話
配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。

私は職場で女性の先輩社員や上司にいびられ続け、
入社7か月目に社内失業してしまいました。

今まで任せてもらえてた仕事も
次々と上司に取り上げられてしまい、
手元に残る業務はほとんど消えてしまいました。

取り上げられた仕事は、全て先輩のもとへ。

自分の仕事がどんどん奪われていく・・・

一体どういうことなんだ?!

とても不安になりました。

手元に残る僅かな仕事を、
わざと時間をかけてゆーーーっくり処理したり

かかってきた電話を誰よりも早く取ったり、

仕事のふりをしてエクセルでマニュアル作って暇つぶししたり、、

備品の整理や社内清掃をしたり、、、

給湯室の食器を洗ったり、、、、

諸々の雑務をやれるだけやって、定時までの時間を過ごしました。

雑務中、自分が置かれた状況を無理やり
前向きに考えるようにしていました。

ただ出社して会社に居座って、雑務をするだけで
給料が月○○万円入って来る。これほどラッキーなことはないぞ!

当然ですが、この考えは長く続かなかったです。

会社で無意識のうちに受けてきたストレスは
大きく膨れ上がっていたようで
会社でのランチも、帰宅後の夜ご飯も、
殆ど喉を通らなくなりました。

翌朝も食欲がないから朝食を抜き、
ストレスフルな通勤ラッシュの電車に乗り込む。

また恐怖の一日が始まる…!と怯えて
会社へ近づくにつれ、動悸が激しくなっていったのを
今でもよく覚えています。

身も心もボロボロの状態のまま出社し続けました。

職場での人間関係と社内失業はますます悪化。

入社7か月目の11月下旬某日、私一人でいるところを
上司に呼び止められ、こう冷たく告げられました。

上司「来月からあなたの業務は全部□□さん(先輩)が引き継ぐから。頑張ってね」

私「・・・・・・はい。」

ついに、全ての業務を失ってしまいました。

唯一残された雑務だって、あっという間にやり尽くせちゃう。

デスクに戻ってもやることがなく、ネットサーフィンをしたくても、
隣で怖い先輩の目が光るから出来ない。

何にもやれることがなくなって、
代わりに資格試験の勉強を始めようとすると

「会社は勉強する所じゃない。仕事して!」

と上司に怒られる。

来月から頑張れって言われたって、何を頑張ればいいの?!
仕事がないから勉強しようとしたんだよ!!

と言いたくても言えなかったです。

私は一体何しに毎日会社に来てるんだろう…

私が悩む隣で、先輩や上司はいつものように他人の
陰口を叩いたり噂話をして盛り上がっている。

出社して自分の時間を売る代わりに
給料を貰っているのに…やれることが何もないのは辛い。

昼休憩を迎え、とうとう限界が来て

会社辞めたい・・・

抑えていた感情が一気にあふれ出てしまい、
外出先で泣き出してしまいました。

続きます!

→退職勧奨を引き受け、無職生活を始めた話。

配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。

どうも、あんりです!

引き続き、私の半生を語ります。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半
新卒で入社早々、配置転換をさせられた話

今回は、配置転換後のエピソードと
先輩社員らにいびられた時の話をします。

さて前回、入社時に配属された経理代行事業の会社で
自分のぽんこつっぷりを晒してしまい
入社2か月目で会社を越えた配置転換をさせられた話をしました。

配置転換先は、親会社である保険代理事業の会社。
職種は、総務を兼ねた保険代理店の営業事務。

ただし条件付き!

ここで数週間の修行を積んだ後、
また別のグループ会社(人材派遣事業の会社でした)に
たった一人の事務員として異動すること!

えええ、またすぐに会社を越えた異動をさせられるの?

この会社は内定の時から頻繁にたらい回しにするなぁ…

会社側の都合として、新入社員の適性がわかるまで
異動や配置転換させていたのかもしれませんが、
それにしても、コロコロ変えすぎだと思いました。

とにかく、早く仕事で独り立ちできるように頑張ろう!

総務という新たな職種に就いてからも
一つひとつ仕事を覚える努力をしました。

配置転換前の経理に比べて総務の仕事量は少なく、
朝から夕方までバタバタと慌ただしく過ごすことが減って、
落ち着きを取り戻しました。

数週間後、一緒に働いていたパートさんの一人が
自己都合で急遽退職することになりました。

そのため、最初の条件にあった別のグループ会社への
異動の話がなくなり、私は親会社に居続けることになりました。

以来、私は更に業務に励むようになりました。

退勤後も夜遅くまで資格試験の勉強をしたり、

会社推奨のセミナーに行ったり、、

頻繁に開かれる社内行事にも積極的に参加した。

取引先企業との接待会食にも行って、
いろんなことを吸収しようとした。

仕事で関わる人たちと少しずつ
人間関係を築き上げていった…つもりでした。

しかし、入社半年後くらいから会社での様子がおかしくなりました。

朝の出勤時に先輩に挨拶してもシカトされ始めます。

私「おはようございます」

先輩「・・・・」

それまでは挨拶をしてくれた先輩たちの反応が悪い。

今朝はご機嫌ななめなのかな?

無視されたくらいで気にしない きにしない!

きっと今日だけ機嫌が悪かったんだ、だから気にしない!
と、その時は前向きに考えていましたが
次の日も、またその次の日も先輩の反応はどんどん悪くなる一方。

挨拶の無視だけでなく、
あらゆる場面で粗探しをされたり、
いびられるようになりました。

先輩に原因があるミスを、私が犯したものだと
疑いをかけられてしまったこともあった。

こちらが「申し訳ございません」と謝ると、
許してもらえるどころか、余計攻撃的になりました。

そして、上司にまで冷たい対応をされるようになりました。

先輩たちの態度が変わってしまったのはどうして?

原因は何なのか考えを巡らせてみると、
私が先輩から心の距離を置いていたことに
多分一因があったのではないかと思います。

一緒に仕事をしていた先輩は、私とはまるで正反対で
とても気の強くて、キツい性格の人。

そして上司は、キツい先輩をとても気に入っており、
業務外の時間でもいつも一緒に行動していた人でした。

先輩は、気に入らない人がいれば
本人のいない所できつい陰口をよく言うし、
仕事の愚痴を頻繁にこぼしていました。

また、他人を「ズルい!」とよく嫉妬し、
業務中に下品な話をしょっちゅうするような人でもありました。

そんな先輩に何となく苦手意識を感じてしまい
業務に関係ない場面では、少しずつ心の距離を置くようにし、
余計なことは先輩に喋らないようにしていました。

愛想の悪い後輩を、先輩は気に入らなかったんでしょう。

先輩の気に入らない人を、上司も気に入らなかったんだと思います。

先輩と上司からの職場いじめは日に日にエスカレートしていき、

私が些細なミスを犯すだけで、先輩が激しく怒る

弱気になって先輩の顔色を伺う

態度が気に入らないから怒る

動揺して余計にミスを犯して更に怒られる

という悪循環を引き起こしてしまいました。

ある日私が些細なミスを犯しただけで、先輩から

「あんたのせいで○○さん(上司)の人事評価が下がったらどうするの!!」

と激しく叱責されたことがあります。

この時はさすがに絶句した…。

毎日何をやっても怒られるだけで、
ある時から出社するのが嫌になって遅刻が増えました。

そして……

入社7か月目にして、私は社内失業をしてしまいます。

次は、社内失業をした話です。

→社内失業から鬱状態になってしまった話。

新卒で入社早々、配置転換をさせられた話

どうも、あんりです!

前回に引き続き、今回も私の半生について語ります!

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代
アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半

新卒で正社員として就職した頃のお話をします。

大学卒業間近でやっと内定を一社ゲットしたのに、
入社一週間前になって突然、内定先(の業種)を
会社都合で変えられてしまいました。

急すぎる内定先の変更の申し出にモヤモヤしつつも
社会勉強のつもりでがんばるぞ!と割り切って変更を受け入れ、
入社日を迎えました。

期待と不安を抱きながら東京都心のオフィスへ初出勤。

初めて体験する朝の通勤ラッシュは本当に衝撃的でした!

駅のホームに溢れかえる人混み。

どこにも入る隙がない飽和状態の車両に
「我先に」と無理矢理突っ込んでいく大勢の乗客。

酸欠になりそうなくらいとっても息苦しい車内。

死んだ魚の目をしたようなサラリーマンたち。

イライラしながら職場へ向かうOL。

暗い色のスーツ姿でぞろぞろと出勤していくサラリーマンたちの姿は
まるで今から葬式へ向かう参列者のようだった。

うわぁ~~いやだな~~~

これから毎日こうして通勤しなければならないのか…

こんな地獄みたいな通勤を定年までやり続けなきゃいけないの?

早速心の中で絶望。
それでも体力ギリギリまで耐えて通勤しました。

入社後、配属先の経理代行事業会社の社員の方々は
温かく迎えてくれてひと安心しました。

新歓の飲み会では、親会社や他の関連会社の方々とも
交流して楽しい時間を過ごせました。

配属先の会社はともかく、関連会社も含めたグループ全体が
風通しの良さそうな社風に見えたので

人間関係に恵まれそうで良かった!
これからなんだかワクワクしそう!

と勝手に期待を膨らませていました。

でも、入社二か月目頃には状況が変わった。

私は、会社を越えた配置転換をさせられました。

入社時に配属された経理代行事業会社から、
親会社である保険代理事業会社へ移されてしまったのです。

突然配置転換させられた理由はいくつか思い当たりますが、
最初に配属された経理代行事業会社で、
自分の能力を発揮できなかったことが
一番の原因だと思います。

私は数字に強くありませんでした。
それに、経理の勉強をしたことがなかったし
簿記の資格を持っていない。

だけど、経理代行事業という不得意分野の会社に
会社都合で内定先を突然変えられてしまい、
割り切って入社したために、自分の無能っぷりを晒してしまった。

一般的にOJTのある会社が多いのではないかと思いますが、
入社先にはOJTがありませんでした。

OJTとは、新入社員のために先輩社員が付き添い、
二人一組で仕事を教えてもらう教育制度です。

入社先がベンチャー企業のため、
上司や先輩社員の人数が少なかったです。

人数が少ない分だけ先輩社員ら一人当たりの仕事量が多く、
私のような新人にじっくり仕事を教える
余裕がなかったようです。

はじめのうちは先輩社員らの仕事のやり方を真似て
慣れない経理の仕事を覚えようと努力しました。

しかし、私はミスを連発してしまい、
ついにある日、上司に辛辣な言葉を投げかけられました。

「あんりさんが数字苦手だったの知らなかったわ…」

「あなたにはこの仕事向いてないんじゃない?」

確かに、自分にも至らないところがたくさんあった。

でも、上司からのこのストレートな言葉に
新人ながらとてもショックでした。

次は、配置転換後のお話をします!

→配置転換後に職場で先輩らにいびられる話。

アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半

こんにちは、あんりです。

前回の高校~大学時代に引き続き、私の半生について書きます。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代
劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代

今回も大学時代についてですが、アフィリエイトに出会った
大学3年生の頃のお話をします!

アフィリエイトに出会った大学3年

東日本大震災から約10ヶ月経った大学3年生の冬。

周りの同級生たちがどんどん就職活動を始める
雰囲気になってきました。

当時私は大学を卒業したら就職して、
会社から貰うお給料で生活するのだ
と思っていました。

いや、正確に言うと
就職以外の術を知らなかっただけです^^;

でも、「この業界に就職したい!」
と特に強い意思やビジョンもなく
周りの雰囲気に流されて
なんとなーく就活を始めました。

はっきり覚えていないけど
50~100社くらい応募していたと思います。

そのうち3社ほど最終面接まで進めたりと
手応えのあった選考も経験しましたが
全滅しました。

それもそのはず、
その会社にどうしても就職したい!
という強い志望動機がなかったわけだし
軸がいつもブレブレだったから。

だから、就活開始から半年以上経っても
一つも内定が出ませんでした。

特にこれといった志望動機もないくせに
なんで私は就活をやり続けているんだろう…

周りの友達は既に内定している子たちがいるのに
自分は一社も決まらず、ただただ時間が過ぎてゆくだけで
絶望感を抱きました。

就職以外に何か方法はないかなぁ…

自力でお金を稼ぐ方法とかないかな。

就職する以外で、自分でお金を稼ぐ方法がないかと
模索しているうちに、インターネットで

「アフィリエイト」

という方法にたどり着きました。

アフィリエイトって何ぞや?

言葉の意味すら知らなかった私は
ネットで更にアフィリエイトについて
調べ進めました。

■パソコン1台とインターネットに接続できる環境があれば
時間や場所に捕らわれず自分でお金を稼げる

■アフィリエイトにもいろんな種類があってトレンドアフィリエイトや
物販アフィリエイトなどがある

■ネット上に資産を築き上げるまで地味な作業を繰り返し
根気よく続けなければならない

■コツはいるが作業をこなした分だけ報酬が発生する

■一度築き上げた仕組みで自動的に収益を得られる

…ほうほう、そうなのかー!

そんな方法でお金を稼げるなんて知らなかったー!

世の中にはアフィリエイトという方法で
自力でお金を稼いで生活している人もいるんだと知って
衝撃を受けました。

何より、パソコンとネットさえあれば
世界中どこでも作業が出来て収入を得られる所に
魅力を感じました。

それに私は震災後、たとえ自宅を失っても
いつでも柔軟に対応できるような生き方をしたい、
と思うようになりましたが、アフィリエイトは
まさにその願いも叶えてくれそうな方法でした。

早速、あるアフィリエイターさんのメルマガを購読し
オススメの情報商材も購入して
アフィリエイトのノウハウを学び始めました。

それから毎日、来る日も来る日も
アフィリエイトの作業に没頭していくうちに、
就活離れしていきました。

家族の圧力に負け、就職する大学4年

そして大学4年の冬。

就活放棄した私を見て、
ある日両親は不満を爆発させました。

「どこも決まってないのにどうして就活辞めたの?!」

「まずは正社員として働かなきゃダメ!!」

「会社に入れば毎月給料が安定して入ってくるのに、
なんでわざわざ不安定な方を選ぶの??」

親の世代的に、学校を卒業したら
会社に正社員として就職することが常識。

だから、ろくに就活もせず「アフィリエイト」という
得体の知れない方法でお金を稼ごうとする娘に
理解できなかったようですし、許せなかったようです。

私はとうとう家族の圧力に負け、仕方なく就活を再開。

大学卒業の一か月前に就職先が決まりました。

内定先は得意な語学を活かせそうな、旅行業界のベンチャー企業。

残りの大学生活を安心しきって過ごしていたのも束の間。

入社日の約一週間前に内定先の親会社の社長から
突然の電話が掛かってきました。

「急で申し訳ないけど、経理代行事業の関連会社に入社してくれない?
どうしても人員が足りなくてね~~~」

急すぎる内定先の変更の申し出に

はっ?なんで??!!

って驚いてしまいましたよwwww

それに、当時の私は数字に強くなかったので
経理の仕事についていける自信がなくて
めちゃ不安でした。

それでも折角いただいた、たった一社の内定先。
社会勉強をするつもりで内定先の変更を引き受けてしまいました。

次は入社後のお話をしますー!

→新卒で入社早々、配置転換をさせられた話

劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代

どうも、あんりです。

前回の小学生~中学時代に引き続き、私の半生について書きます。

前回までの内容はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期
日本の小学校生活と、いじめの中学時代

今回は高校と大学時代編です!

劣等感を刺激された高校時代

さて、中学時代にいじめを乗り越え
県内有数の進学校の高校に入学した私ですが、

高校時代は楽しい思い出でいっぱいでした!

前半までは。

中学時代にいたようないじめっ子タイプは全然いない。

高校の制服のデザインが気に入っていたので、
毎日好きな制服を着て学校へ行くのが楽しみだった。

好きな人もできた。

憧れの軽音楽部にもやっと入部できて、
楽器を手に入れ、バンドを組み、ライブに出演できた。

進学先の学科は国際関係の学科ということもあって、
得意の英語を再び活かしたり、
第二外国語を学ぶチャンスが巡ってきたりと、
語学力を伸ばす機会に恵まれた。

学科のカリキュラムの一環で、
2回ホームステイしたり
修学旅行で海外へ行かせてもらえるなど
語学研修の機会にも恵まれた。

確かに自分は、とても恵まれた環境にいたと思います。

でも、高校生活を過ごしていくうちに
いろんな面でどんどん劣等感を刺激されるようになりました。

進学校だったこともあって、周りのみんなは
各地から集まってきた優秀な人だらけ。

優秀な彼らと肩を並べた途端
自分は「普通の人」になってしまう。

優秀な彼らに追いつけ追い越せと努力しても
劣等感を感じる機会が増えて、自信を失くしていきました。

定期テストでは、同級生と自分の力の差を見せつけられる。

ある苦手科目の定期テストで、
一桁台の点数を叩きだしたことがありますw

ありえませんよねwww

一桁台の点を出したのは、クラスの中で自分だけのようだったので
心配した担任が母親に電話をかけたくらいです^^;

今思うと、担任にも迷惑かけたし
母に恥をかかせてしまって申し訳ないことしたなぁと思いますorz

苦手科目は極端な例ですが、
得意科目のテストでも同級生との差を常に感じました。

テストの時だけではありません。

憧れだった軽音楽部でのバンド活動でも、
劣等感を刺激される場面はありました。

高校の軽音楽部はとても人気のある部活で、
部員の人数もこの学校の中では多い方でした。
(具体的に何十人いたか忘れてしまいましたが)

だから軽音楽部では、何組ものバンドが組まれていました。

で、定期的に部内でバンドの人気や技術力を競うコンペが
行われるのですけど、他のバンドはみんな
演奏技術も歌唱技術も、カリスマ性も高いバンドばかり。

バンドランキングで上位になれたことはなく、
悔しい思いをたくさんしてきました。

こうして私は次第にテストでも、部活でも落ちこぼれていき
大学受験では志望校には合格できず、
「滑り止め」として受けた大学に進学することになりました。

震災で価値観が変わった大学生活

進学先の大学では好きな語学を専攻し、、
仲のいい友達もできて、仲間と協力しながら
勉学に励む日を過ごしていました。

SNSを通して学外にも趣味仲間の友達が出来て、
バンド活動をしたり、いろんなところへ出かけて
遊ぶ機会が増えました。

高校時代よりも自由で、ゆるくて
楽しい日が増えたな~

のほほ~ん

と過ごしていた矢先。

東日本大震災が起こる。

私は首都圏在住なので、東北地方の被害状況と比べれば
大したことなかったのかもしれませんが、
それでもあんな巨大で長い揺れは人生史上初めてで
とても恐怖感を感じました。

立て続けに襲ってくる余震や、インフラの崩壊、
物流のストップ、津波の被災地で時間を追うごとに増え続ける死者数、
震災の数日後に発生した原発事故など
許容範囲を超える出来事を一気に経験してしまいました。

この震災は私の価値観を変えました。

平穏に過ごしていても災害などで
突然自宅を失ってしまう可能性は誰にでもある。

自宅を失っても他の場所へ移住するなど
いつでも柔軟に対応できるような生き方をしたい…!

この考えは、後々アフィリエイトを始める
理由の一つとなります。

さて、次はアフィリエイトに出会った話をします!

→アフィリエイトに出会い、就職も決めた大学生活後半

日本の小学校生活と、いじめの中学時代

こんにちは、あんりです。

前回に引き続き、私の半生の話をします。

前回までのお話はこちらからどうぞ↓
PCの操作と情報発信力を身に付けた幼少期

今日は小学生~中学生編です。

日本へ引っ越す

英語圏の某国で生まれ、インターナショナルスクールでの学校生活に
すっかり馴染み、満喫していた頃…

父の仕事の都合で日本へ引っ越さなければいけない日が
突然やってきました。

父の転勤で日本へ行かなければいけないと聞いた時、
ちょっとした不安感を抱いたのを今でも覚えています。

当時の私にとって日本はある意味
未知の国。

それまで親戚の家を訪ねに両親と一緒に日本へ行ったことはあるものの、
日本で生活したことは一度もありません。

日本語は全くわからないわけじゃないし、話せなくもないけど
英語漬けの環境で毎日過ごしていた影響で、
日本語をうまく喋れない。

それに、日本で暮らしたことがなかったから
日本の文化や常識、生活習慣やブームなど
よく知らない。

一応日本人だけど、中身が日本人じゃない自分が
日本へ行って、うまくやっていけるのだろうかと、
幼いながら不安でした。

日本で始まった小学校生活

日本へ引っ越して半月も経たないうちに、引っ越し先の小学校へ転入しました。

転校先では帰国生が物珍しかったのか、初日から早速外国人扱いされて
疎外感を感じました。

また、日本に来てから
いっぱい逆カルチャーショックを受けました。

例をあげるとキリがないので、
学校生活での一エピソードを話しますね。

例えば授業中、先生に

「何か質問がある人?」

とか

「わからないところがある人?」

と聞かれる場面ってありますよね。

それで、インターに通っていた頃からの習慣で、
手を上げて先生に質問をしたり
自分の意見を言ったりするわけですが、
これを日本の小学校でやると、周りから浮きました。

インターや海外(特に欧米圏)の学校では

「何か質問がある人は手を挙げてください」

などと先生に聞かれると、挙手して質問したり、
自分の意見をぶつけたりするのは
ごく当たり前の習慣です。

でも、日本の学校では

「何か質問がある人?」

と聞かれても、みんな恥ずかしがって質問しない。挙手すらしない。

本当は質問があるのに、周りのみんなが手を挙げようとしないから、
周りの様子を伺って、結局手を挙げずに終わる…

日本の学校では、協調性に重きを置き、
周りのみんなに合わせることが当たり前だった。

私は過去に日本人幼稚園に通っていて、
「みんなと一緒に行動すること」
経験していたはずなのですが…

インターに通うようになってからは
「自分で考えて自分で行動すること」が習慣化していたので、
日本人の社会では「みんなと一緒に行動する」のが
普通だってことをすっかり忘れていました。

だから、インターに通っていた頃と同じ調子で
周りに合わせずに行動したり意見するとめっちゃ浮く。

「あの人、変な子だよね」

「調子に乗ってるの?」

などと陰口を叩かれることもしばしば。

「日本の学校ではみんなに合わせなきゃいけないんだな…」

と察してからは、日本の学校生活に早く馴染もうと
みんなに合わせるように行動しました。

それまでは自主的に行動することがよくあったけど、
「自分」を抑えて周りに合わせるようになりました。

でも、馴染もうとすればする程ストレスになっていたようで
日本に来て一年経った頃には、すっかり暗い子になってしまいました。

母が言うには、日本に来る前の私はよく笑う子だったようですが、
日本に来てからはあまり笑わなくなったようです。

写真に映る時も笑わなくなったので
「もっと笑ってよ!」
とよく注意されていましたねぇ…^^;

いじめを経験する中学時代。

中学校に進学して最初の一年は順調でしたが、
2年生になる頃からいじめを経験するようになりました。

中学2年のクラスで、仲良しの友達3人といつも共にしていましたが
ある時期から同じクラスのいじめっ子グループに目をつけられ

わざと本人だけに聞こえるように悪口を言われたり、

持ち物を隠されたり……

特に友人の一人は
いじめっ子グループの最大のターゲットにされていたようで、
体育の授業中に後ろから蹴られることもありました。

いじめは次第にエスカレートしていき、
初めのうちはいじめをスルーできていた私たちも
耐えられなくなってしまい、ある日学校から帰宅して
母の前で号泣してしまいました。

学校でいじめられていたことを初めて家族に伝えました…
あの時は母にとても心配をかけたと思います。

いじめに悩む私に、母はこう言いました。

「いじめっ子たちのことは無視して勉強しなさい。
勉強して、いじめっ子たちにギャフンと言わせるようにしなさい。」

それ以来学校でいじめっ子たちに何をされても無視し続け、
いじめっ子のことを忘れるくらい勉強に打ち込むようになると、
成績は急上昇し、気が付けばいじめっ子たちも寄り付かなくなりました。

勉強に打ち込んだこともあって、高校は希望通り
県内有数の進学校に合格できました。

いじめっ子がいじめる理由は、ターゲットの苦しむ反応を見て
自分が優位に立てていることを確かめたいから。

でも、いじめっ子が求めているターゲットの反応がなくなったり、
ターゲットがいじめっ子よりも成功してしまうと
自分が優位に立てているか確かめられなくなるから、
いじめに飽きてしまう。

いじめに対処するには

無視すること
相手よりも成功すること

以上の2点が有効だと学んだ中学時代でした。

次は高校~大学時代のお話です!

→劣等感抱いた高校時代と震災に遭う大学時代